「三田のちょこっと話」更新しました!
「三田観光ガイド屋敷町」 さんだ観光ガイド 廣山さん 2026年9月9日
三田は江戸時代、小規模な36,000石の城下町であった。
小高いところにある城(陣屋)を囲むように武家屋敷が並んでいた。だから屋敷町に行くにはいずれかの坂を登らねばならない。
各屋敷は、土地は藩から頂戴するが家屋は自費で賄った。
今ではかつての武家屋敷は、ほとんど姿を消したが、白い漆喰の土堀や、長屋門、石垣、蔵は今も健在しているのが素晴らしい。
道幅は城下で一番広くゆったりしているせいか、静かで、どこからか琴の音が聞こえてきそうな町である。
さて、ここで屋敷町の坂道にふれる。
一番大きな坂道は、旧九鬼家横から大苗町に上がる、「大蔵坂」である。
この坂の右横に、藩の蔵があったことから大蔵と名づけられた。
大蔵坂はかつて、36の低い階段があった。平安時代の万葉集に、36人の有名な歌人(36歌仙)がいたことから、36をもじって「歌仙坂」と呼んだ。
大蔵坂を登ったところのすぐ左手に、鍛治屋町や本町から侍町に上がってくる急な坂道がある。
この坂は藩の蔵に年貢米を牛の背に乗せて納める道である。
蔵に年貢米を収める時、坂道に牛が渋滞する。
びろうな話だが、その際、坂道に糞尿を放つ。
この坂道の名が、いつのまにか「牛糞坂」と呼ぶようになった。江戸時代の古地図にも、その名前がはっきり記されている。
牛糞坂に隣接して、藩家老の九鬼兵庫や澤野家老の屋敷がある。
家老屋敷と糞尿が隣接とはこの辺りを大苗町と言う。
大苗町から西だが、仕方ない。九鬼兵庫屋敷から真っ直ぐ西に横丁と言う道がある。
さらに横町を突き当たり左折すると、薬師町に出る。
この辺りは白洲邸跡やかつての三田高等女学校があったところである。
誠に風紀のいい場所でもある。
さらに大正建築の洋館の美しい前田邸がある。
坂道はまだいくつかあるが、もう一つ忘れられない坂道がある。「ころび坂」である。
この坂道は急な傾斜で、侍町から下町の寺町に続く。ころび坂は手摺りも階段もなく、舗装されていない、草履履き時代には困難な道であったに違いない。
江戸時代から150年のカトリック教会の武家屋敷門が、今も静かに、通り行く人を見守っている。












